空気と心が震える「SHIVER」 文=齊藤希史子(バレエライター)
普段ははるかな舞台上に仰ぎ見ているダンサーたちが、目の前で躍動する。きしむ床、飛び散る汗、共演者とのアイコンタクト。自席が連続グラン・ジュテの進行方向に当たった日には、思わずのけぞってしまうほどの迫力だ(ちなみにその瞬間の実感は「蹴られる!」ではなく「轢(ひ)かれる!」だった)。
欧米ではおなじみというショーイング、すなわちスタジオ・パフォーマンス=稽古場(けいこば)での演舞。会場は、三方にパイプ椅子を並べ、センターをコの字に囲む形にしつらえられる。至近距離で(さらには真横からも)接する演技に、文字通り新たな視界が開けていく。この公演形態の日本における嚆矢(こうし)が「SHIVER」である。
出演者の常連は、独ハンブルク・バレエのプリンシパル・菅井円加だ。パリ・オペラ座に長年在籍した二山治雄との「ローザンヌ国際バレエコンクール覇者コンビ」が、毎年のように実現している。例えば「ドン・キホーテ」のグラン・パ・ド・ドゥ。目を疑う高さの跳躍、火花が散るような回転、丁々発止の掛け合いは忘れ難い。優れた踊り手に共通する呼吸の深さをこの時、発見したのであった。ほかの顔ぶれは毎回異なるものの、世界各地にちらばった日本人ダンサーが一堂に会する、貴重な里帰りの場となっている。
パ・ド・ドゥなどのコンサートピースばかりではない。バーを運び込んでのプリエに始まり、アンシェヌマンを順繰りに提案するセンターレッスンなど、本番への準備段階から公開される。万端整い、各々の得意演目を披露する直前には、自らマイクを握ってのミニ解説。若手の演技の後に菅井が講評を加えた例もある。温かくも鋭い指導を終えるや、「私なんかが偉そうに済みません!」と照れる菅井。二山はわずかな着地の乱れを観客に詫び、バリエーションを頭から踊り直した。舞台にはおのずと人柄がにじみ出るものだが、この場にはダンサーたちが人柄のままに出ている、という印象だ。
特筆したいのはこのショーイングが19年の試演時から毎夏、途切れなく開催されている点。新型コロナウイルス禍が世界を覆った20年、大劇場での「横浜バレエフェスティバル」は中止を余儀なくされたが、SHIVER だけは厳重な感染対策の下、敢行された。「どんな時も表現活動を止めてはならない」が、プロデューサー・吉田智大の信念だ。
21年、英国の鬼才ウェイン・マクレガーの愛弟子である高瀬譜希子は、成田到着から約1週間の強制隔離期間を利用して己のためのソロを創り、この場で世界初演した。タイトルは「アパリズムメント」(隔離を意味する英副詞「apart」に滞在先の「アパホテル」を掛けた造語)。危機を逆手に取った才気に、「今、ここで」生まれる身体芸術の真価を観る思いがした。バレエの現在が脈々と息づく場、それがSHIVER なのである。
「shiver」とは、英語で「震える」の意。今年からは横浜バレエフェスティバルなどの公演一切を総称するブランド名となり、旧SHIVER は「SHIVER Premium」と呼ばれるらしい。この夏も、空気と心が震える至極のひと時が待っている。(了)